キャサリンが教諭として赴任してから半月が経とうとしていた。
「キャサリン先生〜」
「どうしたの?」
「ここわからないんですが教えて下さい!」
「ええ良いわよ」
授業も終わり、職員室に向かおうとしたキャサリンを女子生徒の一人が呼び止める。
二、三の質問にキャサリンは丁寧に答える。
「どう判った?」
「はい!ありがとうございます!」
ぺこりとお辞儀をして走り去る。
職員室に戻り、自分の机で用紙や書類をまとめる。
「キャサリン先生お疲れ様です。」
「ミレイユ先生、先生こそお疲れ様です」
「いえいえ、そういえばまだキャサリン先生の歓迎会まだでしたね。今度開きますね」
「ありがとうございます」
このようにキャサリンは新たな教師として生徒達ともまた同僚の教師達とも慣れ親しんでいた。
ただ、今の生活に不満は無いと言えば嘘になる。
キャサリンには一つだけ大きな不満があった。
「ふう・・・」
夕食後、キャサリンの姿は恋人のカールの部屋・・・ではなく孫であり同僚のフィリスの部屋にあった。
「??お祖母ちゃんどうしたの?」
珍しく物憂げな表情で溜息をつくキャサリンにフィリスが不思議そうな顔で尋ねる。
「ええ、最近カールとほとんど二人っきりになっていないなと思って」
カールと二人っきりになれない・・・これがキャサリンにとっての不満。
無論カールとは、ほぼ毎日会っている。
だが、大抵他人の眼がある為、接し方も教師と生徒にならざるを得ない。
おまけに夜は夜でレイナ達とパーティを組む。
カールも何とか時間を作り二人だけになれる様に努力はしてはいるが、それでもどうしようも無い時にはどうする事も出来ず、早朝か運が良ければ昼休みに人気の無い所でしか選択肢は残されていない。
そんな訳で二人が恋人同士として接せられる時間は極端に減った訳である。
「そっか・・・さすがにみんなのいる前でべたべたする訳には行かないもんね」
「ええ・・・」
「お祖母ちゃん・・・もしかしてストレス溜まってる?」
「少しね・・・」
そう言って少し寂しげに笑う。
「そういえばカール君・・・違った、お祖父ちゃんからも同じ相談受けたわ」
「そうなの・・・」
その言葉にやや喜色を取り戻すキャサリン。
それでも今の事態を解決しない限り同じ事が繰り返されるだけだろう。
「とりあえずジャスティンに相談してみるわね。このままだとお祖母ちゃんもかわいそうだし」
「ありがとうねフィリス」
「どういたしまして。私もお祖母ちゃんが喜ぶ顔の方を見たいから」
そこでフィリスが思い出した様に話題を変える。
「そうだお祖母ちゃん、お母さんが近い内にこっちに来るって言っていたわ」
「そうなの?」
「うん、家の事で少し離れなかった様だけど、やっと身体が空いたって」
「そうなの?あの子に会えるなんて楽しみであるけど・・・少し不安ね」
懐かしそうな口調で不安げに表情を曇らせるキャサリンにフィリスは励ますように
「大丈夫よ。お母さんお祖母ちゃんに会いたがっていたしお祖父ちゃんにだって」
「そうなの?ふふっ、カール、あの子に『お父さん』なんて呼ばれたらどうなるかしら?」
「きっとまた卒倒するわよお祖父ちゃん」
その様は容易に想像出来、それを思い浮かべて笑い合う二人。
「そうだ!お祖母ちゃん、明日街に行って服を買いに言ったら?お母さん来るんだから、お祖母ちゃんもおめかししないと」
「え?でも服なら間に合っているわよ」
「いや、服と言うよりも下着に等しいわよそれ」
フィリスの指摘ももっともだった。
キャサリンの服装はかつてと同じく身体をスッポリ覆ったマントに、その下には下着だと断言されてもおかしくない姿。
就任して直ぐの戦闘術の授業で講師のレイと組み手を行った時、戦闘時の癖でマントを脱ぎ捨てた瞬間レイが卒倒したのを思い出す。
「やっぱり刺激が強すぎるかしら?カールは特に何も言わないけど」
「お祖父ちゃんはそうかも知れないけど他の人には強すぎるの!それに・・・買い物に行くのを口実にお祖父ちゃんと二人っきりで行動できるわよ」
その一言に眼の色を変えるキャサリン。
「!・・・じゃあ明日の授業が終わったら早速」
「駄目よ。どうせなら明日朝一で誘った方が良いわ」
「むしろ今から誘った方がいいわね」
そう言って部屋を飛び出そうとしたキャサリンをフィリスが慌てて引き止める。
「駄目よお祖母ちゃん、今だと他の子に聞かれる恐れがあるわ。そうなると二人っきりになれないでしょ。どうせ明日の朝に会うんだからその時に誘えば良いじゃない。お祖父ちゃんがお祖母ちゃんのお願いを断る筈無いんだから」
「そうね。そうするわ」
孫の提案に力強く頷いた祖母だった。
そして翌日放課後、城の麓にあるフィランディアの街にはカールとキャサリンの姿があった。
「えっと・・・これで全部?キャサリン」
「ええ、下着に服、それに日用品も買い揃えたしミラ先生やミレーヌ先生に頼まれた物も買ったし、フィリスの分も大丈夫だから・・・これで全部よ」
カールの手にはキャサリンが買い揃えた服や下着、日用品の数々、更に他の教師からも頼まれたのか、授業で使うと思われる品物が紙袋などに入れられていた。
この日の早朝、久方ぶりに恋人として接していたカールはキャサリンから放課後街に出て服等を買い揃えたいから一緒に来て欲しいと誘われた。
それに対するカールの返答はフィリスの予想通り承諾だった。
カールがキャサリンの頼みを断るなどありえる筈が無いのだから。
ちなみに今のキャサリンは何時もの服装ではなく、フィリスの服を借りていた。
「ありがとうカール、付き合ってくれて」
「どういたしまして、僕も悪い気はしないし。でもキャサリン、何でミラ先生達の物まで?朝の話だけ聞くとキャサリンの服だけだと思ったんだけど」
「ああそれ」
カールの何気ない質問にばつの悪そうな顔をするキャサリン。
「実はね、うっかりミレーヌ先生に話してしまったのよ今日のこと。そうしたら『街に出るんならお願いしたいものがるんですけど良いですか〜』って頼まれて・・・そうしたらミラ先生やフィリスにも頼まれちゃって・・・ごめんなさい」
「なるほど・・・別に良いよキャサリン。怒っている訳じゃないから、ただ少し疑問に思っただけだし」
「そう・・・じゃあ少し休みましょ。お詫びと言ったら何だけど好きなもの頼んで良いから」
カフェテラスを指差しながらにこやかに笑う。
何度も見ているにも拘らず、その笑顔を見る度に心臓が高鳴るのを自覚するカールだった。
席に着くとカールは紅茶をキャサリンはミルクセーキを頼む。
「そういえばフィリス先生もそうだけど、キャサリンも牛乳が好きなんだね?殆ど毎日牛乳飲んでるんでしょ?」
「?ああ、そうね、確かに牛乳は好きでもあるけど・・・大きな声じゃ言えないけどサキュバスの衝動を抑えるのにも役に立つのよ」
「サキュバスの?」
「ええ、定期的に精気が欲しくて仕方なくなるのよ。サキュバスにとっては食欲に等しいから止められるものでのないし」
「そうなんだ・・・ごめん」
「別にカールが謝る必要なんて無いわよ。私が事実を言っただけだし。話を戻すわね。その衝動を抑えるのに牛乳が一番適しているの。無論一番良いのは精気をもらう事だけど・・・そうだ、ねえカール帰る前に寄り道したいんだけど良いかしら?」
「寄り道?何処に?」
「ちょっとこの街の郊外まで」
フィランディア郊外の高台、そこは公園となっていた。
そこにキャサリンとカールは訪れていた。
「キャサリンここは?」
「ハンターアカデミーがかつてあった場所」
「ここに?」
「ええ・・・もう判っている筈だった・・・城にアカデミーを移してからここは直ぐに取り壊されて更地になった事位は・・・でも忘れられないものね・・・あなたとの日々と同じ位ここにあったアカデミーでの日々も・・・」
そう言い近くにあった手すりに腰を下ろす。
身体を公園側でなく高台から見える街の方に向けて。
当然キャサリンの足はぶらぶら浮遊する形となった。
「キャ、キャサリン危ないよ」
「平気よ、いざとなれば飛べるから」
「いや、そういう問題でもないと思うけど・・」
「ふふっ」
不意にキャサリンが微笑む。
「??キャサリン」
「ああごめんなさい。やっぱりカールもクリフの子孫だなって思っただけ」
「え?」
「同じ事言われた事あるから」
その脳裏に甦るのはクリフ達アカデミーの生徒に封印された宝物庫から助け出されてから直ぐ後、彼女がベランダの手すりに腰掛けて夕日を眺めていた時の風景。
『キティ?危ないよ』
それを見上げて慌てるクリフ。
それに彼女はこう答える。
『へーき。そらとべるもん』
その後何をするでもなくクリフと一緒に眺めたあの夕日の美しさは今も色褪せる事無くキャサリンの記憶の宝物となっている。
アカデミーの日々はまだ幼かったキャサリンにとっては楽園と呼んでも差し支えない記憶だった。
ニーナ、ルシィ、シェリル、葵、そしてクリフ。
モンスターである自分を分け隔てなく受け入れてくれた彼女の故郷。
その始まりの地こそがここなのだ。
「ねえキャサリン」
「何?」
「キャサリンは・・・その・・・僕のご先祖様の事・・・クリフの事好きだったの?」
カールの躊躇いがちな質問にキャサリンははっきりと答えた。
「ええ、好きだった。私にとって初恋だったわ。今だから断言できるけど・・・でもクリフはシェリルを愛し、シェリルもクリフと愛し合った。そこには私の立ち入る余地は無かった・・・でもいいの。私にはカール貴方がいる。貴方の事をクリフ以上に愛している、それも真実だから・・・さて、帰りましょう・・・学園に」
「うん」
身体を百八十度回転させてから手すりから腰を上げて、カールと並び、カールに寄り添う様に歩き出す。
「そういえばキャサリン、どうして急に服の買い物をしようとしたんだい?僕はキャサリンとこうして出かけられるのは嬉しいけど」
「あら?話していなかったかしら?」
「うん、話して貰っていない」
「ごめんなさい話すのを忘れていたわ。近い内にフィリスのお母さんが学園に来るのよ。で、おめかししてってフィリスに言われちゃって」
「??えっとフィリス先生のお母さんが来るのとキャサリンの服の買い物とどう繋がるんだい?」
本気でその意味がわからないのか首を捻るカール。
「もう、わからないの。私達の『娘』が来るのよ」
キャサリンの一部を殊更強調した言葉にようやくカールは事態を悟る。
「僕達の・・・娘・・・」
「そうよ。フィリスは私達の孫なんだからいるのは当然でしょ。もうしっかりしてよ、お父さん」
「お、お父さん?!!」
「きっと言われるわよ、あの子に」
「勘弁してよ、まだフィリス先生の事を孫として見れないのに更に娘なんて・・・」
「ふふふっ」
情けない顔でへたれこむカールとそれを見て笑うキャサリン。
不意にお互いの視線が合い、笑みが更に零れ落ちる。
こんな風に当たり前のように過ごせる時間と、共に生きていられる事を喜びながら。
そして、こんな時が永久に続くようにと祈りながら・・・
だが、話はそうも綺麗には終わらなかった。
城に帰ってきた二人を待っていたのはフィリスだった。
「お祖父ちゃん!!お祖母ちゃん!!」
「!!フィ、フィリス先生!!!」
「フィリス駄目よ。何処に人の耳があるかわからないんだから」
何故か切羽詰った表情で遠慮なく祖父と祖母を呼ぶフィリスに、カールは慌てふためき、キャサリンはやんわりと窘める。
「っとそうだった、それよりもカール君、キャサリン先生大変なの」
「何が大変なんですか?」
その指摘に慌てて訂正してそれでもどこか焦った表情で大変と言う単語を連呼するフィリス。
それに何事があったのかと真剣な表情で尋ねるカール。
その脳裏に最悪の事態・・・キャサリンの正体が白日に晒された・・・がよぎる。
だが、それに対する返答は予想を飛び越えるものだった。
「その・・・お母さんが今来てるの」
「「は??」」
まだ一日は終わりそうに無かった。